コア開発者のツイートで、これはと思う呟きの日本語訳をシェアします。
本日はハチェットさんのこちら。
This is a very important read, for everyone. Read it. Translate it. Distribute it. Pay close attention to every word.
— Hatchet (@0x6861746366574) September 9, 2022
Almost every cryptocurrency is a security. And as a result, almost every cryptocurrency will eventually die. https://t.co/QlgC2Vht1L
このツイートは、米国証券取引委員会委員長 ゲイリー・ゲンスラーさんの2022年9月8日のスピーチを引用しています。
このスピーチの中でゲイリー・ゲンスラーさんは、暗号資産(Crypto Tokens)と「証券」について話をしています。ハチェットさんはそのことについて抜粋し、まとめ、ツイートをしました。
暗号資産について米国証券取引委員会委員長 ゲイリー・ゲンスラーさんが話された点は、Symbol/NEMに関わらず、暗号資産に投資している方々は知っておいた方が良い内容かと思います。
それでは以下がハチェットさんのツイートです。日本語訳は英文の下にあります。
This is a very important read, for everyone. Read it. Translate it. Distribute it. Pay close attention to every word.
Almost every cryptocurrency is a security. And as a result, almost every cryptocurrency will eventually die.
Every cryptocurrency with a “Foundation” that manages key aspects of the chain – from listing agreements with exchanges, to engineering, to marketing – is a security.
If your cryptocurrency has a centralized website promoting it, it is a security.
If your cryptocurrency “Foundation” markets or talks about price performance, it is a security.
If your cryptocurrency has a team constantly marketing it to other individuals, it is a security.
If your community addresses a group of individuals as “the management”, or holds “the management” accountable for price performance, your cryptocurrency is a security.
If your cryptocurrency has a “Foundation” that runs a majority of the nodes, it is a security.
If your cryptocurrency has to convince other people why they should buy it – it’s a security.
If your cryptocurrency is organic and decentralized – where everything from infrastructure to marketing to engineering is led out by different organizations and individuals all rallied together under one banner – it may not be a security, and may live.
While it may frustrate you with some of the choices we make and the stance we take, this is why.
Should a cryptocurrency be classified as a security, it is a death knell.
“Investors are following crypto projects on social media and scouring online posts about them. These tokens have promotional websites, featuring profiles of the entrepreneurs working on the projects.”
“It’s not about whether you set up a legal entity as a nonprofit and funded it with tokens. It’s not whether you rely on open-source software or can use a token within some smart contract.”
“These are not laundromat tokens: Promoters are marketing and the investing public is buying most of these tokens, touting or anticipating profits based on the efforts of others.”
Read that last line very carefully.
If you want #Symbol and #NEM to survive, stop treating it like a security. The success – or failure – of the project is one that every holder is accountable for.
Together we rise, or together we fall.
これは誰にとっても読むに値するものです。翻訳してください。シェアしてください。一言一句に細心の注意を払ってください。
ほとんど全ての暗号通貨は、証券です。
結果として、ほとんどの暗号通貨は最終的に死ぬこととなります。
取引所との上場契約からそのエンジニアリング、マーケティングまで、チェーンの重要な項目を管理する「財団」を持つすべての暗号通貨は、証券です。
暗号通貨に、宣伝を目的とする中央集権的なウェブサイトがあれば、それは証券といえます。
もしあなたの保有する暗号通貨が、中央集権的なウェブサイトでプロモーションを行なっていたら、それは証券です。
もしあなたの保有する暗号通貨の「財団」がマーケティングを行なったり、価格のパフォーマンスについて話す場合、それは証券です。
もしあなたの保有する暗号通貨が、個人を対象に継続してマーケティングをするチームを持っているなら、それは証券です。
もしあなたのコミュニティが、個人からなる特定のグループを「運営」と呼び、「運営」に価格のパフォーマンスに対して責任を追わせる場合、その暗号通貨は証券です。
もしあなたの保有する暗号通貨の「財団」が大多数を占めるノードを運営しているのであれば、それは証券です。
もしあなたの保有する暗号通貨が、第三者になぜそれを買うべきなのかを納得させなければならないとしたら、それは証券です。
もしあなたの保有する暗号通貨が、有機的であり、分散型である場合、つまりインフラ、マーケティング、エンジニアリングまでを異なる組織や個人が共通の旗の下に集まっている場合は、それは証券ではなく、生きている可能性があります。
私たちの選択とスタンスに、不満をお持ちかもしれませんが、これが理由です。
暗号通貨が証券に分類されるようなこととなれば、それは死の宣告と等しいです。
「投資家はソーシャルメディアで暗号通貨プロジェクトを追いかけ、オンラインにある投稿を探し回る。それらの暗号通貨は宣伝目的のウェブサイトがあり、そこにはそのプロジェクトで働く起業家のプロフィールが載っているのです」
「非営利法人として法人を設立して、トークンで資金調達を行なったかどうかは関係ありません。オープンソースソフトウェアに依っているか、なんらかのスマートコントラクトにおいてトークンを使えるかどうかということではありません。」
「これらはコインランドリーで使うトークンではありません。プロモーターはマーケティングを行なって、投資家はほとんどのそういったトークンを購入し、第三者の努力に基づいた利益を宣伝したり、期待したりしているのです。」
この最後の行を、よく読んでみてください。
SymbolとNEMを存続させたいのであれば、証券のように扱うことはやめてください。
このプロジェクトの成功、あるいは失敗、それらは全てのホルダーがその行為に対して責任を伴うものです。
共に立ち上がるか、あるいは共に倒れるか。
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